ベルゼブル、ファージョ。この2種の機械たちが今、木々のあいだをぬうように、仲間を集めるアラームを鳴らしながら無数に飛んでいる。 テュールは鈍重なメイスを振りかぶりながら、確実にしとめ煩わしい機械音を黙らせていく。 フォクシーは流れるようなナイフさばきで硬い金属をけずった。 草をひざでかき分けながらをフォクシーの隣を敏捷にすり抜けていくシオンは、足を踏み込んで回転する円盤をなぎ払う。続けざまにもう一撃食らわすが、すんでのところではじかれた。 すかさずラミレスが遠方ではなった炎の矢は、雨のように連射して、ようやく機械たちは煙をあげて動かなくなった。しかし次の瞬間には、けたたましくアラームが響きわたって再び周囲は鉛色に覆われる。 「えらく大量ね!」 愚痴を込めてフォクシーは引き下がった。 「あの音を止めてしまわなければ」 テュールも悔しそうに歯をくいしばりながら、この状況を打破する方法を考えた。言霊を使う余力は全員が残り少なく、アイテムも切らしている。生半可な攻撃では、すぐに次が現れてしまい意味をなさない。逃げたところで執拗に追いかけてくるのがおちだ。アラームを止めることにおいて最良の方法が見当たらない。 「おい誰か! 俺にエラーティをかけろ!」 シオンはまわりの全員に聞こえるよう叫んだ。エラーティ――狂戦士状態へと己の肉体を変えてしまう言霊だ。 「とっととこいつらを蹴散らす! さあ、頼むぜ!」 ためらってはいられない。シオンがその気ならと、彼が機械を引きつけてくれている内にフォクシーは決心した。ベルゼブルのショットに足をかすめとられそうになりながらも木陰に逃げて、言霊を唱えることに集中する。フォクシーの口元から白い息がもれる。 「エラーティ!」 「エラーティ!」 声が重なった。言霊の力がシオンに向けられ、肌の色がやや赤く変色し始める。フォクシーはテュールと顔を見合わせた。同時にエラーティをかけてしまったのだ。 「うおおおおお!」 シオンは剣を持ち構えながら敵に向かっていった。軽い身のこなしで飛び上がり、次々に段違いの速さと力強さで切り倒していく。 とうとうアラームは絶えた。 「シオン……」 しかし、狂戦士へと変貌したシオンはその後も元には戻らなかった。 闘志を剥き出しにしていたために、テュールの背中で大きく暴れて、宿に連れて来るのも難儀した。 ぐるぐると唸り声を口の中でこもらせるシオン。 狂戦士状態は力は増幅し、固い敵にはとてつもなく有効な手段であったが、ひとたび狂戦士となった者はひたすらに攻撃をしかけていくという、乱暴で、意思の疎通も望めぬほどまともでない精神状になってしまう。 時間が経てば自然と治癒し、また、目当ての敵がいなくなると治まるものなのだが、そううまくいかない時もあるらしい。 ベッドの上に座らせられたシオンは、苦しそうにぐっと歯をきしませる。 シオンの顔がしかめられる度に、フォクシーはいたたまれなくなった。もうずっとこんな調子だ。 「シオンがかわいそうだわ」 シオンは手を後ろに固定されている。フォクシーの鞭でシオンの両手を捕らえてしまうまでは、剣を離そうとしなかったからだ。フォクシーはシオンの後ろにまわると、手首に巻かれた鞭を握った。 「おじいちゃん、テュール。とってもいいわよね?」 それにはテュールが首をふって制した。 「まだ危ないでござる。ゆるめるぐらいにしておくのがいい」 「……そうね、その方がいいわ」 少しは落ち着いてきたようだが、狂戦士になってからというものの、まともに口をきけていない。敵と見間違えて襲ってくることはないともいいきれず、もしも本気の力でシオンに殴られれば大惨事だ。 テュールがそばについてくれた。気を引き締めながらフォクシーが鞭のくくりをゆるめると、シオンは大きく肩を下げて、溜まっていたものを出すように息をつく。 「やっぱり痛かったのね。ごめんねシオン……」 フォクシーはシオンの手首にふれながら、レフの言霊を唱えた。 「なかなか治りませんな」 どうにかしてやりたくて、テュールは落ち着きなく室内を歩きまわっていた。 「ラミレスどの、なにかよい知恵はございませんか」 ラミレスは眉を下げて白いひげをいじった。 「無の属性による状態変化は、打ち消せす属性がないからのう。わしにもわからんのじゃ。ダナン神族がエラーティなんて言霊を常用しておったと思うか?」 「そうですね、使わないでしょう」 「はやく治って、シオン……」 あらゆる知識を身につけた王のラミレス、言霊に強い魔術師のテュールもお手上げなら、フォクシーにはもっとなにもできない。 このまま、もどらなかったら……。 シオンが狂戦士状態になってからすでに数時間は経っている。 「同時がけしてしまったことで効果が長引いているのだったら、どうすることもできまいて」 異常な力が働き、シオンは苦しんでいるのは誰の目にも明らかだった。 「心ここにあらず、あれでは気を休めることもできないでござろう。シオン殿の体力がもつといいのだが」 「まあ、必ず治るはずじゃて。そろそろ効果が切れてもいい頃じゃわい。今は時間にまかせるしかないじゃろう」 「……ラミレス殿がそう言われるなら、安心できますね」 なぜだかわからないがラミレスの言葉には力があって、その通りだと思いテュールは心を落ち着かせた。 「きゃあっ!!」 突然、フォクシーが声を上げた。慌てて目を向けると、そこにはシオンにのしかかられたフォクシーがいた。両手を縛っていた鞭も床に落ちている。 「シオン殿! なにを!」 テュールは瞬時に言霊を唱える姿勢をとった。フォクシーを傷つけることがあればすぐさまシオンを止められるように、攻撃力の高い言霊もいくつか頭に思い浮かべる。 「テュール待つのじゃ、シオン殿の様子が変わってきておるぞ」 ラミレスはテュールに警戒をとかせた。シオンの顔つきは強面を崩さなかったが、狂戦士状態特有の赤みが薄れてきている。 「そうですね……肌の赤みがましになった気がします」 「ちょっと、ねえ、ふたりとも助けてくれないの!?」 シオンの胸板を押し上げながら、フォクシーは叫んだ。 「ふぉ、ふぉ、シオンどのはフォクシーちゃんが気になってるようじゃの」 「たしかに、我々を見ようとしませんが」 猟犬が獲物を取り押さえた時のように、シオンはフォクシーを睨みつけていた。 「ちょうどよかろう。どうせ最後に、男の目を覚まさせるのは可愛い女の子と決まっとる。ほれテュール、座らんか。フォクシーちゃんを見守ろう」 「そういうものですか」 にんまりしたラミレスはどことなく楽しんでいるようだった。しかたなしに、フォクシーへ助言する。 「……フォクシーどの。なにか、呼びかけてやってください。はずみで完治するかもしれません」 「ええ、わかったわ。……シオン? いいこと、そこをどきなさい」 言い聞かせるようにシオンを見つめながら、高らかに命令した。その間にもシオンは獣のような眼光でじっとフォクシーを見下ろしている。 「ねえ、あなたこんなことする人じゃないでしょ? 目を覚ましなさいよ」 言葉が通じていないのか、物言わぬシオンはけだもののごとくのどを鳴らすと、八重歯を覗かせ唇をなめた。 「ひえっ!? あっあのねシオン! 私は食べ物じゃないのよ!」 出し惜しみない力で鎧を叩きつけて引き離すが、再びシオンはのしかかってきた。今度はフォクシーの首元に顔をうずめてくる。 「や、やめなさいよ……」 よじれ合うように押し倒され、フォクシーの声がかすれる。シオンの荒い息を首元で感じて、背中が冷たくなった。 「シオン、もとにもどってよ」 フォクシーは目を潤ませてつぶやいた。こんな形でシオンと抱き合うことを願っていたわけではない。 「シオン!」 がるっと吠えてシオンはフォクシーの首にかぶりついた。それは、あまり痛みのないものだった。甘噛みぐらいのものだった。しかしフォクシーは耐えきれず、気づいたときには激情にかられるがまま体が動いていた。 「いい加減にしなさいよ! こんの、バカっ!!!」 強烈に頬を叩かれて、シオンの目が覚めた。弾ける音が、脳を揺さぶっている。外にいた覚えがあるのだが、ここは宿の一室だった。目の前のフォクシーが、つらそうな表情で顔をしかめている。 「なんだ? 俺は一体……」 腹の下がやけにやわらかくて、視線を下げるとフォクシーの体があった。 「うわ! なんだおまえ、なんでそんなとこにいやがるんだ!?」 とっさに離れたシオンは、辺りを見渡した。テュールとラミレスが苦笑している。 「え? し……シオン? 治ったの?」 「治った? 治ったってなにがだよ。それより、人の顔を叩くなんてなに考えてんだよ。いってえな」 ぶっきらぼうな言い方を聞いている内にフォクシーの心は落ち着いた。いつもならきっと言い返しているが、この時ばかりは嬉しくて、体を起こしてシオンの体によりかかった。 「こっちのセリフよ。突然噛むなんて、なんて野蛮なのかしら。あなたってバカよ。……けど、よかった、もとにもどって」 「うげっ、お前ほんとにフォクシーか!?」 フォクシーはシオンの頬をさすりながら、すまなさそうに眉尻を下げた。 「シオン、ごめんね。叩いちゃって痛かったわよね」 「どうしたっていうんだよ……まったく」 シオンはため息をついて、テュールに疑問を投げかけた。 「すまん。なにがどうなってるんだ?」 「覚えておらんか? エラーティをかけて狂戦士になったはいいが、そのまま治る気配がなかったのでのう」 「……すると足止めしちまったわけだな俺が。すまなかった」 「気にすることはない。それより、フォクシー殿はずっとシオン殿を心配していたのだぞ。治られて何よりだ。さあ、喉はかわいていないか?」 テュールが渡してくれた水を飲み干すと、頭が冴えてきた。すうっと、覚えのある匂いがした。 「これだ。この匂い」 シオンは鼻をくんと鳴らした。 「おまえ、香水かなんかつけてんのか?」 「ええ……。お父様から誕生日にいただいたものを、荷物の中に入れていたのを思い出して、今朝つけてみたの」 そう言って、ポーチからアンティーク調の香水瓶を取り出して見せた。気に入っていたものだからお守りがわりにと、首の後ろあたりにかるく吹きつけていたのだ。 「それだ。さっきまでのことはよく覚えてないが、ずっとうまそうな匂いがしてたんだよな」 「これは、シトラスの香り! じゃあやっぱり私を食べ物だと思ってたの!?」 「シトラスってなんだよ?」 「ほれほれ、夫婦喧嘩なら、食事のあとにせんか? みんなお腹がすいとるじゃろ」 ラミレスはふたりを扱いきれず、あきれたように言い出した。 「そういや腹減ったな。フォクシー、なんか食いにいくか」 フォクシーはきまり悪げにポニーテールを肩にはねた。 「いいわよ」 シオンの記憶は混濁していたが、ずっと側にフォクシーがいたのは覚えている。おぼろげに気の強い表情が、悲しそうな面持ちに変わる姿が浮かんだ。 頭をくしゃくしゃとかいてから、シオンはフォクシーの耳に口を近づけた。 「心配かけて悪かったな」 フォクシーは、頬が赤くなるのを感じた。目をそらしつつ、大きくうなずいた。 ☆☆☆ 「本当にそんなもんが効くのか?」 ガーライルは行商人がスピリットと呼ぶ霊酒を睨んだ。奇妙な人の目がついた瓶の形は見るからに怪しくて、その中には液体がゆらめいている。 「何度も言わせるな。あんただって体験してみりゃわかるさ。なんてこたねえ。要は栄養剤だ。精力剤ともいうか。それに、初めての客には安くするのが決まりになってる。100ラグでどうだ」 最初の客に提示する値段は安くする。そのあとは釣り上げていく。それが基本のやり方だった。 「これをぐいっといきゃあ、そりゃ気持いいのなんの。なんでもできる気がしてくるぞ。力だってつくし、頭の回転もよくなる、疲労はなくなる。いいことづくめで、積極的になれる。そうだな、なんならあの美人ちゃんだって落とせるぜ」 そう言って土混じった爪先でリザをさした。リザは遠くにいてガーライルに気づいていない。 「えーと。……ひとつ、もらう」 「まいどあり」 行商人はにやりと笑って手を出した。 栄養剤――その言葉を思い出した。 いらなくなった武器や防具を売ってしまう機会を逃したせいで、背にしょいこんだ荷物はおもりのような積量だった。 売れば金になるとわかっているものを、おいそれと捨てていくわけにもいかずに、ガーライルは長時間背負い続けていたが、疲れのせいで意識がうすくなってきた。 ガーライルは縦に列をなしたリザたちを見る。 かといって、同じように疲労を重ねているリザたちに荷を任せるのは年上として、なんとなく言い出したくはなかった。辛いのは公平のもので、それにもうすぐ町につくはずだ。そこまで体をもたせることができればいい。ガーライルは自らを鼓舞してコートのポケットに忍ばせておいた瓶をとり、一気に煽ったのだった。 「あら? ガーライル……」 がしゃん、と荷物が地面に落ちた音がした。 しんがりをつとめていたガーライルが荷物を捨てて進み出てきたことで、マリーナは他のふたりに待ってと叫んだ。 「歩くの遅かったかしら?」 「どうしたんだ?」 薄情にも、ガーライルは無言を返した。 そのままピピンをよけ、マリーナの横を通り過ぎると、リザを前にして立ち止まった。 リザは、ちょうどよかったと顔をほころばせた。休憩にしましょう、と言おうとしていたところなのだ。 「ガーライル。町までは間もなくだけど、少し休みましょうか」 それでも、ガーライルは返事をしなかった。様子がおかしい。 「無理をしすぎたかしら。顔色がよくないわ」 「リザちゃん……」 愛おしげにその名前を呼ぶと、ガーライルはいきなりリザを抱きしめた。 「好きだ。ずっと好きだったんだ」 空気が凍りついた。小さな悲鳴とともに、マリーナは顔をおさえて驚く。ピピンも同じように口をあんぐり開けている。 「が、ガーライル?」 リザはまばたきを繰り返して、理解につとめた。優しく腰を支えられ、恋人のように抱きしめられている。 「りっリザねえちゃんになにやってんだよ! おい!」 「そうよ! 急にどうしちゃったのよ!?」 あたふたしながらふたりは言い募るが、ガーライルは見向きもせずリザだけを見ていた。 「ガーライル、いったいどうしたの?」 真剣な表情にはガーライルらしさがひとかけらもない。それに、なんだか肌が全体的に赤っぽくなっている。まわされた腕の温かみも平熱とは言えないものだった。 「熱があるのかしら」 熱があるのか診たくても身動きができない。お互いの体は今までにないほど密着されている。リザもだんだん落ち着かなくなっていた。どうして、こんなことになっているのだろう。 そんなリザの戸惑いをよそに、ガーライルは腕を絡めてくる。 「リザちゃんは俺のこと好き?」 耳元でささやくように聞かれて、リザは固まってしまった。 ガーライルがこんなことを言うのにはきっと訳があるのだ。熱に浮かされているのかもしれない。 「リザ! いやならいやってハッキリ言わなきゃだめよ!」 「そうだよ! おいこら離せ〜〜っ!!」 ガーライルを引き剥がそうとしたピピンを、リザは止めた。 「いいのよピピン。……ガーライル。どうしたの? 私になにをして欲しいの?」 言葉を投げ返す代わりに、ガーライルはリザの体をより強く抱いた。リザは痛みに顔をしかめて身をよじる。 「んっ、待って、そんなに痛くしないで」 「ごめん。でも、リザちゃんが好きなんだ」 ガーライルはリザの体を少し離して、真剣な表情をしながら言った。 あえぐような息遣いと、ひたむきな視線を受け、彼らしくないまじめさに微笑みながらリザはささやいた。 「好きよ、私もガーライルのこと……ね、だから落ち着いて。だいじょうぶよ」 「ほんと?」 「ほんとよ」 悲しそうな顔をするものだから、リザは思わずガーライルを抱き返した。 「うそなわけないわ」 リザはしばらくガーライルの背中を優しく撫でていた。そうしている内にガーライルの腕がほどかれ、体が崩れ落ちかける。 「ち、ちょっと!?」 はっと気づいたマリーナが、リザを手伝ってガーライルを持ち上げた。 カランと音がして、後ろで転がった瓶をピピンが拾う。不審に思って栓を開けると特有の匂いが漂って、うえっと舌を出した。 「これ、スピリットだぞ」 「スピリット? って八虫類族のお酒だったかしら?」 「うん。それ。オイラたちの仲間にこれを栄養ドリンクだって好むやつはいっぱいいるけど、慣れてないやつが飲んだらテンションあがりすぎるし、もし一気飲みなんてしたら、おかしくなってぶっ倒れるに決まってるよ」 地面に寝かされて倒れているガーライルを見て、ピピンは肩をすくめる。 「ガーライル? もしかして、お酒を飲んだの?」 マリーナはぺちぺちとガーライルの頬を叩いた。すると熱っぽい呼吸をしながら、うん、と小さく返ってきた。かすかに酒の匂いがする。 どうやらスピリットを飲んでこうなってしまったらしい。ガーライルのおかしな行動に理由がつく。 「なんでこの兄ちゃんはこんなにバカなんだろ? ホルンの水と間違えたのか?」 「ありうるわ」 マリーナに手であおいでもらっているガーライルの姿はとても間抜けだった。 「それにしてもリザねえちゃん、ガーライルを手なづけるなんてさすがだな」 「ふふふ。そうね。今ので疲れたんじゃない? はやく町に行って休もうね」 「え、ええ」 だがリザは違うことで頭がいっぱいだった。ピピンとマリーナは気づいていないようだ。 (私、好きって言っちゃったわ) 変な気持ちになってぼうっとしながら、リザは向こうに落ちている荷物をとりにいった。 ☆☆☆ レギンの実家は、オムロパスにあるカスタギア雑貨店の裏側に家をかまえている。 カスタギア博士の好意により、サーレントたちはレギンの実家を情報収集もかねた拠りどころとしていた。 店番の休憩をしていたミーミルは、慣れた様子でレギンをもてなした。 「あなたひとり?」 「いや、サーレントたちは後でくるよ。なんだ、あいつに用か?」 「ううん、そういうわけじゃないの」 ミーミルは炊事場にきて少し迷ったが、カスタギア博士の言いつけを無視するわけにもいかず、軽い気持ちでレギンの前にお茶を差し出す。 「飲んでみて」 「これを? なんか変な匂いがするぞ」 ミーミルが出してくれた陶器のコップの湯気からは、青くさい薬草のような匂いがした。 「いいものがあるから、いつかレギンが帰ってきたら出ししてやりなさいって、カスタギアおじさんが。いまは出かけてられるけど」 「俺に?」 「そう。なんでも強くなれる薬らしいの」 中身を飲んでしまってから、レギンは目をむいた。 「ブーッ! 薬ぃ!? 先に言ってくれよ、てっきりどっかのうまいお茶かと思ったじゃないか!」 「言わなかったかしら。ごめんなさい」 しずくのついたレギンの口元をハンカチで拭きながら、ミーミルは謝った。 「いいよ、なんともなさそうだし。はあー親父め。こんなんで強くなるわけないだろーに」 レギンは口をごしごしこすって、ここにいない発明好きの父親を恨んだ。 「そっか。効かないのね。おじさん落ち込むだろうな」 「それより、ミーミル……」 「ん? なあに」 ミーミルがレギンの顔をのぞくと、酒にでも酔ったように顔を赤らめていた。 「ミーミル! 俺と結婚するか!」 そう言って、レギンはミーミルの手をとった。 「え!?」 「いいだろ、俺とおまえだったらいい店をやっていけるぜ」 「どうしたの? 急にハイになったって感じね」 「なあ、返事をきかせろよ」 「突然言われたって、こっちにも心の準備とかそういうのあるでしょ」 「いらないよ。いいのか悪いのかどっちだよ」 「どっちって言われても、あなた薬を飲んでヘンになっちゃっただけじゃない」 「薬は関係ない。俺は俺だ」 「そうね、そうだけど……どうしたらいいのかしら。カスタギアおじさん、まだ帰ってこないだろうし」 ミーミルが考えあぐねていた折に、カスタギア宅の入り口からサーレントたちがやってきた。 「レギン! ここにいたの……うわーー! 見てはだめですロロ!」 「えっ? なーに? レギン兄ちゃんいたの?」 「おまえ、女に手をだすとは……」 サーレントはロロの目を隠し、ソークは柄から刀を抜き出した。予想外の急展開に、ミーミルは急いでレギンの無実を言い放つ。 「ソークさん! 違うんです。私がレギンにカスタギアおじさんの作った薬を飲ませてしまったの。それから変になってしまって……」 「もとから変なやつだ」 「それはそうなんですが」 見ることを許されたロロは、レギンとミーミルを見て、ダナン神族固有の感覚を鋭く働かせた。 「誰か、無の属性の言霊をつかった?」 ミーミルは首を振る。言霊袋も今日はまだ作っていなかった。 「無の属性? どんなものだい」 「うーんと、凶暴な、一時的に細胞を作り替えてしまうような……」 「凶暴?」 「手を強く握ってくるんです」 ミーミルに押しの一手で愛の言葉をかけているレギンは、ある意味で凶暴だった。 サーレントは考えこむ仕草をして、レギンを観察する。 「こんなレギンみたことないな」 「斬るか?」 「だめ! 斬るのはだめだよ!」 荒療治をまっ先にやろうとするソークは、レギンを治してやりたいという良心からで、いたって真面目であるがゆえにたちが悪い。 「ともかく、なんの薬を飲んだのかわからないからカスタギア博士を呼んできます。ロロ、ここでミーミルさんといてくれるか? ソークは私と」 「すみません……。おじさんは、道具屋に行ってそうです。あっ、うちの店じゃない方の。よく店の方と張り合ってられます」 サーレントは、わかりましたとミーミルに微笑む。 「ロロ、レギンから守ってやれ」 「は、はーい」 ソークはレギンをひと睨みして、サーレントと家を出ていった。 ふたりが行ってからも、レギンはミーミルから離れなかった。 ロロはミーミルといすに座りながら、サーレントがカスタギア博士を連れて帰ってきてくれるのを待つ。 「あなたの帽子羽がついているのね? かわいいわ」 「へへ、ミーミルさんのもかわいいね」 「ミーミル! どうなんだよ」 ミーミルの手はロロの帽子を撫でながら、左の手でレギンとつながったままだった。 「みんなが帰ってきたら、お茶とお菓子を食べましょうね」 「わー嬉しいな。お菓子なんてこのところ、ぜんぜん食べてないや」 「おい、俺と一生を遂げるつもりはないのか?」 レギンのことを不安に思いながら、ロロは話題を作る。 「ぼく、この手のところに変な傷が入ってるでしょ。魔物に引っかかれたんだ。前はレフを唱えてもずっと痛かったけど、いまはもう痛くないよ」 「まあ、強いのね。いちおう、あとで軟膏を出してあげるわ」 「おい! ミーミル!!」 レギンの怒鳴るような声に、ミーミルは我慢の限界だった。 「ロロくんがいるのに、みっともない大声出さないで! 少しは静かにしなさい!!」 「……お、おう……」 ミーミルの怒りのまなざしは、かつて彼が言霊を間違って唱えたときほどの衝撃をレギンに与えた。 「あ……すごいお姉ちゃん。もとにもどったね」 レギンの目の色はすっかり正気をたたえていた。 「いやあ、みなさんおそろいで」 サーレントとソークは無事カスタギア博士を連れ帰ってきてくれた。 「カスタギアおじさん、あの、レギンが」 「ああ、話は聞いたよ。どうだった?」 「オヤジぃい! どうだったじゃないよ!」 レギンはカスタギア博士に突っかかる勢いで恨みをぶつけた。 「なんじゃ治っとるのか。つまらん」 「くうう!!」 「まあ、レギンも」 サーレントが間に入って、人のいい笑みを浮かべて落ち着かせる。 「スピリットは高額で売れるそうだからマネしてみようと思ってな。ハ虫類族の間では、まちがいのおちゃ、と呼ばれるものだそうで、簡単に作れると聞いたんじゃ。聞いたからには、やるしかないじゃろ」 「なにやってんだよ! 自分の息子になんてことしやがる!」 「おまえが適任じゃろうが。ミーミルに飲ませろというのか? そんなことはできんぞ」 「当たり前だ! やりたきゃ親父が飲めばいいじゃないか!」 「効果が検証できん」 なにも悪いと思っていないような、ひょうひょうとした父親を相手にするのもくたびれる。くそー、と愚痴をこぼして、レギンはミーミルの隣に立った。 「俺、なんかヘンなこと言ってたかな? イマイチ記憶が曖昧なんだ」 「あなたらしくないことは言ってたけど……」 「どんな!?」 正直に言えば、レギンはどういう態度をとるのだろう? 試してみたい気にもなったが、口で言うのはなんとなく恥ずかしい。 「それはちょっと教えられないわ」 「なんでだよ」 「いいのよ、大事に胸におさめておくから」 腑に落ちない顔をしながら腕を組むレギンは、ミーミルのすこし嬉しそうな態度のわけがわからなかった。 |
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